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支線沿線〈6〉 弾丸は誰に向けて撃つのか(濱松哲朗)

 決して怠けていたわけではないのだが、年度末から年度初めの忙しさと心身の不調とが重なって、何もかもが億劫だった日が続いた。その間に多くの人から信頼を失ったような気がするし、僕自身も疑心暗鬼に苛まれた。それでもこうして、縋りついて歌を作り、読んでいるのだから、短歌ってありがたい。

 それはさておき、である。先日、立命短歌のメンバーで、LINE上で歌合をしたことがあった。ニコニコ生放送で中継された「学生短歌バトル2015」に向けて、歌合の練習をしようと考えていたのだが、大学が春休み真っ只中のせいもあってなかなかメンバーが一ヶ所に集うことができない(学生はどうせ暇、という昭和な発想は、良識ある皆さんにはぜひ捨てて頂きたい)。

 そこで、苦肉の策として考え付いたのが、LINEのグループトークを掲示板のように用いて評を書き込んでいく、というスタイルである。念のために書くと、LINE(ライン)とは一種のSNS機能で、二者間のメールや通話はもちろん、複数人のグループでのテキストチャットも可能という、手軽な(それために犯罪などとの関連も指摘されやすい)アプリケーションである。

 何よりもまず評の練習が最優先、ということもあって、歌は手持ちの歌集やアンソロジーから適宜引いて行った。おかげで、小高賢VS吉岡太朗という現実では絶対にありえなかった組み合わせや、田中ましろVS石川美南という文学フリマのブース配置のような対決が発生し、なかなか面白かった。

 このLINE歌合において、僕は毎回判者を務めていたのだが、その中でも特に印象に残ったのが、次の歌が評にかけられた時である。

愛してるどんな明日でも生き残るために硝子の弾丸を撃つ
          田丸まひる『硝子のボレット』(2014)



 この時、グループ分けが偶然にも男性チームと女性チームに分かれていたので、僕は敢えて、男性チームにこの歌を擁護させ、女性チームにこの歌を批判させるよう、わざと仕向けておいた。そして、普段の自分の好みとは全く別のベクトルから語らなければならなくなったメンバーは、僕の思惑通りになかなか困り果てたようで(分かっていてやりました。ごめんね)、15分ほどLINEトークが沈黙するほどであった。

 そして、15分後に始まった論戦ではこの歌の読みが、歌合の勝負と関係ないところで、男女でものの見事に真っ二つに分かれてしまったのである。これは僕の想定以上の出来事だった。以下、その時のLINEのトークから幾つかの評を引用する。

〈男性チームによる評〉
・生き残るためとしては少し不自然な硝子の弾丸。硝子には綺麗だが脆いというようなイメージがつく。この弾丸にもそのようなイメージがあり、撃った後にはすぐに壊れてしまうのだろう、というような連想ができる。
・撃った瞬間バラバラになり相手には届かない。結果、相手とは結ばれず、失恋の歌であることがうかがえる。

〈女性チームによる評〉
・愛する存在の為にはどんな犠牲も厭わない。自ら引き金を引いて守り、手に入れるという強さを感じられる。
・とても強い意思の歌。撃てば砕けてしまう硝子の弾丸を撃ち込むように必死にひたむきに愛して生きて行くという表明であるのでしょう。



 要するに、男性チームはこの歌を失恋の歌や、叶わぬ恋の歌であるという風に捉えたのに対して、女性チームは全く正反対に、情熱的で強い意思を持った恋愛の歌だと読んだのである。

 しかも、男性チームは弾丸を、恋の相手に向けて撃つものと解釈していたのに対し、女性チームは自分たちの外部に向けて、恋を守るために撃ち放すものだと考えていた。

 この時のLINEはあまりに紛糾して、本来はこの歌を批判しなければならなかった女性チームが男性チームの失恋読みに対して「今『ちゃうねん!』て叫んでしまったわ」「男子軍と女子軍の捉え方が違いすぎてもどかしかったです」と発言するに至り、結果、歌合の勝負どころではなくなってしまった(この番は最終的に引き分けとした)。

 試合後、歌に関する感想を、歌合の勝敗とは関係なく話してもらったところ、

〈男性チーム〉
・硝子の弾丸を「キューピッドの矢」的なものと想像していました。
・正直内容よりも雰囲気で読みたい。少年漫画のワンシーン的な。

〈女性チーム〉
・硝子の武器で劣勢ながら、血みどろになりながらも自分の愛する存在を守り、他は切り捨てる強い感じ、けどやはり脆弱ってのが良いのに。
・ぎりぎりで崩れない強さっていうのがいいのに。



 という感想が聞かれた。こんなに男女で歌の読みが分かれるとは思っていなかったので、不思議だった。

 ここでふと、こうした「読み」のジェンダーはどこから発生するのだろうか、と考えてみる。「読み」というものは、それぞれの読者が過去に触れた文化や思想などが堆積した上に立ちのぼる煙のようなもので、その実態を掴むのは容易ではない。しかし、今回は学生短歌会の、ほぼ同世代の人間が集まって歌を読んだこともあり、たとえば幼少期に観たテレビ番組や読んできた漫画・小説の類は一致するものも多いだろう。

 ここからは僕の直感的な感想なので、何の裏づけもないのだが、「男の子向け」「女の子向け」とされるものが堆積させていくなかで、それぞれ「ヒーロー的なもの」と「ヒロイン的なもの」のイメージが形成されるのではないだろうか。

 今回の『硝子のボレット』の読みであれば、男性チームは「〈私〉が相手に向けて弾丸を撃つが、硝子の弾丸は砕けてしまい相手には届かない」という読みを提示した。手に入れたい対象に対して銃を向けようとする行為、そして、目標に到達しないことを無力さであるとする把握には、裏返しのヒロイズムがあるように思う。

 反対に、女性チームは「脆弱な硝子の弾丸でありながらも、〈私〉と相手の関係を守り抜きたいという強い意思のある恋愛」だと解釈した。二者の恋愛関係を守ろうとする姿勢、自分の弱さを認識しつつも戦う屈折感からは、最終回には幸せを用意されているある種のヒロイン像がかすんで見える。

 加えて、男性チームは「撃ち抜く」という一瞬の行為を語る一方で、女性チームが「守る」という継続的行為を語っている点にも注目したい。この構図は、河野裕子が「母性」を語る時の構図と全く同じであると言える。

 男が短い有限の生、一回性の生でもって、その存在を完結するしかないのに対して、女たちは何百万年の昔から孕み、産み、育てて来たのである。いのちに対する感受や、考え方に、より本質に関わった独自性があるのは、女の内なる自然性や、生命律のうえからいっても、当然のことである。
          河野裕子『体あたり現代短歌』(1991)「いのちを見つめる――母性を中心として」



 この河野の論に対抗しようと試みた吉川宏志の「妊娠・出産をめぐる人間関係の変容――男性歌人を中心に――」(1994)から、既に20年以上が過ぎた。最近では、「本郷短歌」第3号(2014)が「短歌×ジェンダー――身体・こころ・言葉――」という特集を組んだことも記憶に新しい。

 だが、本当の意味で、議論は進んでいるのだろうか。特に、「読み」のジェンダーに関しては、語る人みずからの性の形成にまで立ち返らなければならないから、話が容易ではない。けれども、いま大切なことは、立ち止って考えてみることであるとも思う。

 事実、今回は作者名つきで歌を提示したせいもあって、田丸の歌の〈私〉を女性であると、誰もが信じて疑わなかった。私たちは言葉のどこから「性」を読み解いているのか。もしここに、服部恵典が「性別当てゲーム」あるいは「性別当て」であると指摘した類のバイアスが存在するのだとしたら、私たちはもう一度、おのれを疑ってみる必要が、あるのではないだろうか。
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支線沿線〈5〉 記号化する言葉から逃れるために(濱松哲朗)

 先日、角川「短歌」編集部の企画の下、「学生短歌バトル2015」という大学対抗歌合に参加してきた。当日の模様はニコニコ生放送でインターネット中継されていたが、番組中継終了時点で再生が1200件を超えたと聞く。立命短歌は残念ながら一回戦で敗退したため、僕は会場の控えスペースで、音声は目の前の歌合のテーブルから、画像は中継の画面からそれぞれ拾いながら観戦していたのだが(考えてみたら凄い状況だ)、それでもなかなか面白かった。イベントに関しては事前に色々と問題が発生したこともあったわけだが、結果としては成功だったと言えるだろう。

 さて、当日の歌の中で、次のものが話題になった。

雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書
          工藤玲音(東北大学短歌会)



 今回の最優秀方人に選ばれた一首である。白の上に白が重なり、まだ何も記されていない葉書のイメージが強調される。「東北」という、重い記憶を背負った土地であるからこそ、これからここに何かを書いていこう、という前向きな姿勢も感じられる。当日のゲストであった小島ゆかりが激賞した。

 だが、ここで正直に言うと、最初に角川から送られてきた歌稿でこの歌を目にした時、僕自身は「東北」の語に引っかかって、読み下すのをどこかで諦めてしまっていたところがある。雪に覆われた土地の白さだったら「北海道」でも葉書になるだろう、単に故郷を詠んだだけなら、もっと場所の魅力が出てきても良いのでは――、などと反論を用意していたくらいだ。

 この歌の「東北」は当然ながら、震災以後の東北という文脈で読まれる可能性が高い。可能性、という言い方をしたのは、作者が「東北」に含まれる言外の意味について何も言及していないので、断定は出来ないためである。しかしながら、葉書という、何かを記して誰かへ伝える役割を荷ったものと重ねられた「東北」には、どうしても震災や、その後の生活の場所としての東北が想起される。厳しい冬が繰り返される土地に〈私〉は生きている。そしてこの土地は、一度すべてが失われた土地でもある。葉書に記されるものはだから、そんな東北に生きる、数多くの〈私〉の姿である。そう思って読むと、確かに強く胸を揺さぶられてくる。それならば、やはりこの歌の「東北」は、他の土地(例えば「北海道」や「新潟」など)に置き換えることが不可能なものとして読んだ方が良いのだろう。

 一首の中に登場する、文脈としての「東北」を如何に評価して良いものか、僕は今も判断に迷うことがある。工藤の歌を読んだ時にも、ともすれば「東北」という言葉が、言外の意味を背負った記号としての機能しか果たしていないのではないか、という目で見てしまったから、判断を保留してしまった。それは僕にとって、もはや反射的な行動だったようにも思う。

 だから、この作品が東北大学短歌会に所属する工藤の作品だと知った時には、安心した(作品の作者は歌合の試合まで学生には一切発表されていなかったのである)。この「東北」は生きている、と思ったのだ。

 「東北」という語が一首において、重い記憶ばかりを引き出す装置として機械的に働いてしまうことを、僕は今も恐れている。作品として優れていれば文句はないが、そうではないものもこの数年の間で山のように見てきた。そこに書かれていたのはあくまで記号化された「東北」であって、生きた土地としての東北では決してなかった。加えて、評をする側も、「東北」の語に抱え込まれた文脈によって、批評が足踏みしてしまうことがあった。震災のことだから、原発のことだから、と言って、結局は歌の中の「東北」に正面から向き合えていないのである。あたかも、最初に工藤の歌に触れた時の僕のように。

安置所に横たはりたるからだからだ ガス屋の小父さんもゐたりけり
          梶原さい子『リアス/椿』(2014)
湯の内を浮き上がりたるまろき玉どの瞬間にひとは逝きしか
わたくしの小さき頃より絶え間なく小母ちやんたちの金歯の光る
雑食の蛸であるゆゑ太すぎる今年の足を皆畏れたり



 梶原さい子の『リアス/椿』に描かれた東北は、被災地である以上に、作者を含めた人々の生活する場所としての東北である。歌集は「以前」と「以後」の二つの部分から形成されているが、「以前」の部があるからこそ、「以後」の部においても場面が、記号化した「東北」に陥ることなく、生身の姿のままで描かれていると言えるだろう。

 一首目、特定の知り合いが「ガス屋の小父さん」と特記されることで浮かび上がる、「ガス屋の小父さん」以外のその他大勢の「横たはりたるからだ」の存在感に慄く。四首目は震災の翌年の一月の歌であるが、このショッキングな連想の背景にあるのは、〈生き残ってしまった〉という感覚だ。海で死んだものは海の生き物に食われ、海の生き物は生き残った人間に食われる。自然であるがゆえに残酷な節理を前にして、歌は立ちどまる。――何故、私ではなかったのか。私はどうして生き残って、無事に年を越しているのか。被災地に暮らす者の言葉としてはかなり重いものを含んでいる。

 一方で、二首目や三首目は、それ単体で読んだ際には、震災という文脈からも、勿論「東北」からも切れたものとして読むことが可能である。梶原は何も、「東北」というものを書きたいのではない。彼女が書きたいのは、恐らく、この場所でこれまでも、これからも生き続ける人間の生活であり、記憶であり、感情である。

束であり一本づつであることの東北の野に枯荻そよぐ
震災詠はもういいぢやない 座布団の薄きの上に言はれてをりぬ



 僕は去年、震災詠に関する評論で結社内の評論賞を受賞したが、選考委員の中で、梶原だけは僕の評論に丸を付けなかった。震災詠で当事者性ばかりが問題にされ、当事者であることがそのまま作品への評価となっているようでは困る、という序論から始まる評論に、『リアス/椿』の作者が賛同するとは確かに思えない。そして何より梶原は実作を通して、当事者である身に安住することなく、〈私〉の身の回りのあらゆる営みの有り様を、リアリズムの手法で生き生きと描き切った。僕はこの歌集を読んで、実は梶原本人が、当事者性などという概念から一番遠いところにいるのではないか、と考えた。自分たちの生活に土足で迫ってくる記号的表現や抽象的概念を、注意深く払いのけながら作り続けたものが、『リアス/椿』の後半の歌たちなのではないか。そう感じたからこそ、僕にはこの歌集が、賞の選評以上に重く響いたのである。

(関係ないが、僕の評論賞受賞作は未だに、「震災」を扱った点だけが評価されて受賞に至ったのだろう、どうして誌面に選考経過を出さなかったのか、等という陰口が堂々と結社誌の座談会記録に掲載されるほど、すこぶる評判が悪い。はっきり言って、「震災詠」の評論である時点で嫌な目で見られている、あるいは、まともに読まれていない。記号化迷惑の典型である。)

 自分が当事者であるという自覚は、その後の変化のためにこそ有効なものであり、当事者であることに安住した瞬間、歌人の中の〈私〉は腐敗する。当事者、という概念によってリアルな〈私〉が殺されるのだ。だがこの世界は、季節も、風景も、人も、そして〈私〉も、全ては変化し続ける存在である。繰り返される死者への祈りの歌は、脈々とした営みの中にあるからこそ輝く。

 震災から間もなく四年が経過する。「三月」という言葉自体が、戦争の「八月」や安保の「六月」のような文脈を持ち始めているようにすら思われる今、自分たちが口走る「震災」や「東北」が概念化・記号化していないかどうか、そろそろ再検討する必要があるだろう。結局僕たちは誰もが当事者になれるのだ。次に必要なことは、「当事者」という概念に対する絶望だろう。言葉は時に、概念化・記号化の力で〈私〉をがんじがらめにする。言葉への絶望の向こうに、それでもいきいきと言葉を紡ぐ作家を、僕は信用したい。

支線沿線〈4〉 あたらしい読者を求めて(濱松哲朗)

 前回、「作家は自己の精神的種族保存拡大のために書く」のであり、「心の底から通じ合えるような、通じ合い得ているような」「自己の精神的種族を同時代からばかりでなく、時代を超えて保存拡大のために書く」のであるという、河野多惠子の言葉を引きながら、創作における作者と読者の関係、すなわち、言葉という〈他者〉を介在して成立するコミュニケーションの在り様について考察を始めたところであった。

 繰り返しになるかもしれないが、作者という〈私〉にとって、読者が〈他者〉である以前に、言葉そのものがまず〈他者〉なのである。作品がどんなに独自の表現であったとしても、言葉(表象記号と言い換えても良い)である限り、作品は自ずと他者性を含有している。〈私〉の作品が理解されないと言って過剰に嘆く作家は、まずはおのれの言語観を省みて、言語を通じて〈他者〉を受け容れる姿勢を身に着けた方が賢明であるし、一方で、読者の方も、どうせ私には理解できないのだと諦めてしまうのではなく、きちんとコミュニケーションの回路を開いておく必要がある。その際、作品を「理解する」ことが、イコール「伝わる」こと、ではないことに注意しておくべきだろう。

 この「理解する」という行為の難しさについて、一ノ関忠人は「現代短歌新聞」2015年1月号において、今の二十代、三十代の歌人が作る短歌について次のように書いている。

 穂村弘以後という確認ができたものの、理解は届かない。生沼(義朗)は「重要なのは各作者が意識的に解体と新陳代謝を起こしていることだ」と言い、更に次の後続世代が出て来た時に成果が明瞭になると書く。その時まだ彼らはこのような作品を作りつづけているのだろうか。
          一ノ関忠人「世代間断層」(「現代短歌新聞」2015年1月号)



 一ノ関の短い記事の中に名前が挙がっていた若い歌人とは、順に、吉岡太朗、永井祐、堂園昌彦、望月裕二郎、瀬戸夏子である。そして、理解に苦しんでいる上の世代の例として、「短歌研究」2014年11月号の作品季評における小池光、さいとうなおこ、森本平の三名による『ひだりききの機械』評、生沼義朗の「解体そして新陳代謝」(「短歌人」2014年10月号)、山田消児「謎のありか」(「路上」130号)を挙げている。

 実際、「短歌研究」誌上で吉岡太朗の『ひだりききの機械』が取り上げられた時は、三人の評の息苦しさに驚きながら読んだものだ。何より、読者としての小池、さいとう、森本の三名が、ちっとも楽しくなさそうなのである。座談会からは、苦しみながら読んだ、という印象がぬぐえない。これが一ノ関の言う「世代間断層」なのだろうか。

小池 作品というのはもっと客観的なものであって、読者がいて、その間でコミュニケーションが交わされないと作品が作品にならないという感じがする。その手前で少し自閉しちゃっているような感じがあるから。これは壁に向かってボールを投げているような感じがするんだね。受け取り手との間でボールのやりとりをしているかというと、やはりそれはしていないので。していないというよりも、することを拒否している感じがして。
森本 たぶん作者の中で、読者ってある程度無意識の枠があると思うんですよ。だから伝わらない人には多分伝わらないと思うし、必ずしもそれをいい悪いとかいうレベルで考えていない、というより想定外の読者は、文字通り想定の外にしている気がするんですよ。
          (「作品季評〈第92回・後半〉」「短歌研究」2014年11月号)



 確かに『ひだりききの機械』には、読者への挑戦と言えるような作品が散見される。「短歌研究」の「作品季評」欄では、コーナーの冒頭に対象となる作品から数首引用されているのが、『ひだりききの機械』からの引用13首は、この三人が「理解する」ことの出来たものに留まっていて、歌集のほんの一部分しか見られていない印象がぬぐえないものだった。

兄さんと製造番号二つ違い 抱かれて死ぬんだあったかいんだ
          吉岡太朗『ひだりききの機械』(2014)
ローソンを出るとガストでガストから出ようとするとローソンである
本当は誰のもんやろ構造上流れんはずのわしん涙は
もらさんことに執着しとるひとびとよ ほらあんたもさうなんやろ
OBはもうマンモスになっていてかみ合わなかったすべての会話



 13首の引用と被らないように5首を引いた。吉岡の作品に表出したエネルギーは、世界が、あるいは自らが造られたものであるという自覚に基づいた、痛みのような悲哀である。日常の背後に普段は隠れてしまっている論理が、短歌を通して顕在化する。しかも、吉岡が指摘するものは、誰もが気づいていながら、あまり口にはしたがらないことであり、まさに世界の影の論理というべきものたちである。一首目、「製造番号」と呼ぶことで自らを機械のように表現しているが、同時にセックスを人間製造の機能として表現している。自分の両親の性愛なんて確かに想像したくないが、彼らの性交渉が無かったら自分は存在していない。世界の論理としてここまで嫌なものはないだろう。消費社会、就職氷河期などは分かりやすい例で、四首目に至っては、人間の排泄や糞便の話である。しかしこれとて、生物にとって必然の論理であって、逃れることができないものである。

 三首目はもしかすると、吉岡の絶唱と言えるのではないだろうか。「構造上」という言葉が気になる、という見解はあるだろうが、それならば何故、作者が「構造上」と歌に詠まねばならなかったのかを考えた方が、読みとしては断然誠実である。そして、読みの誠実さは世代格差によって失われるものではないことくらい、おのずと分かるものである。「世代間断層」といった意味のことが叫ばれる時の構図が、十中八九、上の世代から下の世代を見た時の言葉であることに、私は強い危惧を感じる。むしろ若手の方が短歌史をフラットに俯瞰することが出来る立場にいるのではないのか、と思えてしまう。

 世代ごとにそれぞれ、当然とされる認識の背景や生まれ育った社会環境などが異なってくることは、いつの時代も言えることである。ただ、文学作品はそれを超えて読まれるべきものではないのか。歌集を読む時に真っ先に奥付を見て、作者の生年や所属を見てしまうようでは、「世代間断層」は埋まらない。仮に、吉岡の作品がどういった「精神的種族」を保存拡大しようとしているのかが読み解きづらいものであるとしたら(個人的には、吉岡作品はテーマが明確であるがゆえに、堂園や瀬戸よりも格段に「伝わりやすい」作品だと思うのだが)、我こそは吉岡の読者であると信ずるものが、積極的に吉岡を論じていく必要があるだろう。それが、いい読者であろうとすることではないのだろうか。

 合評に参加した三名とて、必ずしも吉岡の作品を根っから拒絶しているわけではない。むしろ、年の離れた吉岡の歌集をどうやって自分たちが読み解いたら良いのか、積極的に悩み抜いているように見える。その点に私は好感を持った。

さいとう この人のは疲れなかった。なぜかわからないけど。
小池 それは良い読者ですよ。
さいとう いい読者でありたいと思って読んだということは、確かに言えていますけど。
小池 一生懸命読んだけど、やはりねえ。



 吉岡の作品は今月、二度目の批評会にかけられることになっている。「世代間断層」が仮に存在しているとしたら、私たちはそれを埋めるために、「精神的種族保存拡大」に努めなければならない。それが優れた読みの提示によって為されることは、短歌史の中でも明らかであるはずだ。そして、「精神的種族保存拡大」を強く願ってやまないのは、何より吉岡本人ではないだろうか。関西と関東で二度開かれることで、作品の読みが深まることを、あたらしい読者が誕生することを、作者自身が待ちわびてやまないのではないだろうか。――私はこんなことを強く思わざるを得ないのである。


  適切に配置されたらぼくたちは各々適宜ゆるキャラになる

支線沿線〈3〉 精神的種族保存拡大について(濱松哲朗)

 作家の河野多惠子が亡くなった。昨年(二〇一四年)、文化勲章を受章されたばかりで、まだまだお元気だと思っていただけに残念である。僕は河野多惠子のよい読者では決してないのだが(よい読者とは、その作家の作品をほぼ網羅している人のことである)、彼女の小説やエッセイ、そして、芥川賞等での選評は記憶に残るものが多い。

 晩年の河野に、『小説の秘密をめぐる十二章』(二〇〇二年)という優れた創作論がある。タイトルからも分かるように、これはいわゆる小説入門の本であるが、短歌や詩など他の文芸ジャンルにとっても参考になる言葉が散りばめられていて、未読の方にはぜひお勧めしたい一冊である。絶版のようだが、文庫にもなった著作なので、まだまだ手に入りやすいと思われる。

 その中で河野は、書くという行為について、生田長江と佐藤春夫の言葉に触れつつ次のように記している。

 要するに、作家は自己の精神的種族保存拡大のために書くのである。何だか物々しく聞えるかもしれないが、作家は何よりも誰もまだ書いていないことを書きたいのである。その点では、大文豪であろうと新人であろうと生まれて初めての作品を書こうとしている人であろうと変りはない。そして、まだ誰も書いていないこととは、まだ誰も発表していないことの意味ではないのだ。これまでに、作家のみならず、世の人々が誰も思いもしなかったであろうこと、考えもしなかったであろうこと、想像しもしなかったであろうことを書きたいのである。自分ひとりのみの精神に生まれてきたことを書きたいのである。
 そうして、そのことを作品に表現し得た時、専ら自分だけの思い・考え・想像であることについて、誰にも分るはずがないと思うのではなくて、反対にひとの共感を欲して止まない。つまり自己の精神的種族を熱望するのである。
          河野多惠子『小説の秘密をめぐる十二章』(2002)



 ものを書く経験がある人間なら、引用の言葉について「なるほど」と思うに違いない。

 書くという行為は必然的に、その作品が誰かに読まれることを前提としている。河野は別の箇所で、「詩歌・俳句は作者が作り、歌い、詠むだけでよいものである。発表することはおろか、書き記すことさえ、本質的な行為ではない。もともと読者を想定するものではないからである」と書いているが、それは言い過ぎだろう。たとえ詩歌俳句であっても、作者は作品を書き記した途端、第一読者として、作品にとっての〈他者〉として存在するようになるものである。その言葉がどんな魂の奥深くからの叫びであったとしても、言葉になった途端、名指されたそれは既に〈私〉ではない。要するに、あらゆる言語表現は、〈私〉を言語によって〈他者〉化することによって成立しているのである。これは散文韻文、小説と詩歌俳句の間に関係なく、言語表現一般に言えることだ。

 例えば、歌会に自作の歌を提出するとしよう。作品は当然ながら、多くの人の目に曝され、読まれ、評をされることになる。最初のうちは、自分の想定した通りの読みを期待して一喜一憂するが、歌会に慣れてくると、自作がどんな風に読まれるかを見守る余裕が出てくる。時に、作者の想定を超える優れた読みが登場するのが短歌の世界である。読みとはすなわち、作品に記された〈私〉の精神の痕跡が、〈他者〉を通じて再構築される現象のことを指すのである。

 河野は続けて次のように記している。

 そこで、精神的種族とは何かを知るには、読者としての自分を省みれば、分りやすいだろう。非常に愛読する作家を全くもたない不幸な人には、そう言っても通じないかもしれないけれども……。熱心な愛読者はその作家の最高の理解者は自分ではなかろうか、と唯一の本当の理解者のような気持になる。そして、その作家が自分の生まれた時より百年も前に亡くなっているのであっても、心の底から通じ合えるような、通じ合い得ているような気持になる。作家にとっての精神的種族とは、敢えていえば、そのような人たちのことであり、作家はそのような自己の精神的種族を同時代からばかりでなく、時代を超えて保存拡大のために書く。



 読み返しながら、なるほど、と膝を打った。河野のこうした見解は、「精神的種族保存拡大」という言葉を、ポジティブに取るかネガティブに取るかで意味合いが変わってくるのである。

 ポジティブに取れば「人は誰かに読まれるために作品を書く。書き続けるのが作家なのだ」という風になるだろう。だが、ネガティブに取ると、次のようになる。「作品なんて、読める人に読んでもらえたら、それで良いのだ」。

 この差は、読者をあらかじめ限定していないかどうか、という問題に繋がる。作者という〈私〉から生まれた作品が、〈他者〉化した言葉として、読者という〈他者〉に届く。にもかかわらず、ネガティブな発想で「精神的種族保存拡大」を望むと、作品がいつまでも〈他者〉化しない。作品は〈私〉に占有されたまま、読めるものなら読んでみろと、むしろ〈他者〉の侵入を阻んでしまう。あるいは、自分は「精神的種族」になれやしないと感じるネガティブな読者の側が、作者によって作品への侵入が阻まれていると勘違いをしてしまう。

 このネガティブな〈他者〉観は、小説よりもむしろ、短歌や俳句といった定型詩の方が陥りやすいように思われる。これらの短詩は、なにより定型によって言葉が限定されるため、散文のように言葉を尽くして説明するようなことができないからだ。ことに短歌は、作者と読者の間にある距離が、読みに直接的に影響を及ぼしやすい詩型だと言える。この距離は地理的な距離であったり、世代的な隔絶であったりするが、限られた言葉によって表現された作品に対して、必要以上に「距離」を感じてしまうのだろう。だが、伝えたいからと言って「説明」をしたり、作者に「説明」を求めたりしてしまっては、作品の自立性が崩壊してしまう。歌会で自作の解題を長ったらしく繰り広げる人間の面倒くささが、ここにある。ダラダラと自作を語る作者や、それをうんうんと頷きながら聞く読者は、「読まれる」ことと「伝わる」こととが、イコールでしかないのだろう。

 もしかすると、言葉は伝わって当然だという安易な過信が、今もどこかで僕たちを取り込もうと狙っているのではないだろうか。伝わる人に伝わればいいと〈他者〉を拒絶する作者、自分には伝わらないと〈他者〉であることを放棄する読者。これらは元を正せば、結局は同じ病に侵されるのである。言語芸術について、「伝わる」という安易な定規を用いて語ることは、いい加減やめた方がいい。

 僕がこんなことを思うのにはちゃんとした理由があって、その点を踏み込んで書こうとしたのだが、今回は紙数が尽きた。勘のいい皆さんはもうお分かりだろうが、僕は今、短歌界における「世代間の差」について書こうとしている。そして、短歌においては「精神的種族保存拡大」の「保存」の部分が稀薄になりがちな現状があるのではないか、と考えている。詳細は次回。


  古書の染みうつくしくあれ短篇の読後に香るいきの余白よ

支線沿線〈2〉 記憶を生きるために(濱松哲朗)

 今年の一月十七日にはかなり感慨深いものがあった。理由のひとつは言うまでもなく、阪神淡路大震災から丸二十年の日であったことだが、この日はちょうど、大学入試センター試験の初日でもあった。

 センター試験の受験生の大半が、阪神淡路大震災以降にこの世に生を受けたものばかりになっていると気づいて、僕は思わず唸った。二十六歳の自分にしても、当時のことは覚えていることの方が少ない。それでも未だに、朝のニュース映像だけはおぼろげながら記憶している。いつも通りのオープニングで始まらない朝のテレビは、六歳の僕に確かな不安を与えた。

 テレビのニュースやワイドショーばかりを見て育った――テレビに預けられていた、とも言える――当時の僕にとって、神戸の印象は、地震に遭った街、というものでしかなかった。だがそれも、時間とともに変わっていった。テレビに映る神戸の街はどんどん復興していく。元通りになっているのか、更に発展したのかは分からないが、神戸という街の名から想起されるイメージにおいて、「震災」の二文字は次第に影が薄くなってしまった。忘れられた、と言った方が適切かもしれない。

 これはあくまで、神戸から遠く離れた茨城で育った僕の、勝手な経験でしかない。震災当時その場にいた人にとっては、忘れたくても忘れられない記憶が存在するだろう。そしてそうした、忘却することが許されない生の辛苦は、近代以降の短歌が繰り返し迫ってきたものでもある。明石海人におけるハンセン病、宮柊二における従軍、森岡貞香における夫との死別と、ひとりの歌人が詠み継いだ作品の奥に響く経験の通奏低音の例は、挙げ始めたら切りがない。

  兄に似た少年ひとり自転車に乗りて校門の闇に消えゆく
          楠誓英『青昏抄』(2014)
  雪原に立つ鹿の眼にうつる吾をいくどもいくども夢に見たりき
  ゆうべ見し夢の続きに洗面器の水面に揺るる吾の影あり
  帰らざる兄の自転車さびついて月の光が照らしてゐたり
  暗闇の中にゐたくて目を閉ぢる 夕陽を背中に兄は立つてゐる



 楠誓英の第一歌集『青昏抄』の通奏低音は、阪神淡路大震災で兄を喪った記憶である。だが、この歌集は体験を記録した作品の集積では決してない。歌集の栞文で沖ななもが「阪神大震災で兄を喪ったということは現代短歌社賞の選考のずっと後に知った」と書いているように(沖は楠が受賞した際の選考委員を務めた)、兄と震災の因果関係が前面に詠われることは最後までない。「震災の瓦礫の中をゆく祖父の棺は揺れる舟歌のやう」という歌はあるが、むしろ例外で、何よりこれは祖父についての歌である。

 歌集一冊三百首を通しで読んでみると、教室や街角といった日常の場面から、「亡き兄」のイメージが折に触れて湧き上がってくるのに気づかされる。日常の破れ目として「亡き兄」が存在していると言っても良い。この記憶は平坦な日常を突き破ろうとするが、日常がここで完全に破綻してしまうことはない。忘れることが許されない記憶としての「亡き兄」ではあるが、作中の〈私〉はしっかりと日々を生きようとしている。記憶につかれて過去に埋没する衝動に、駆られていないとは言えないだろうが、それでも歌集には、記憶のみで「亡き兄」に迫ろうとした歌はない。

 ふと僕は、吉川宏志の歌に、

  この遺影に記憶はかたまりゆくならむいろいろな顔を見てきたけれど
          吉川宏志『燕麦』(2012)



 という、河野裕子への挽歌があることを思い出した。吉川の歌にはある種の諦めが滲んでいる。だが楠の場合、遺影の写真のようにして、記憶の中の人を固定化させてしまうことを、敢えて拒もうとしているのである。

 歌は歌集の中に、現在を生きる〈私〉の意識の流れとして配置されている。『青昏抄』に詠われているのは、折に触れて記憶に蘇ってきて、忘れさせてくれない「亡き兄」であり、「亡き兄」を現在の〈私〉がその都度幻視しているのである。

 そう思うと、『青昏抄』に夢の歌が多いことにも納得がいく。死者の記憶と向き合うことは、おのれの生を見つめることをも意味するからだ。夢とてそれを見た者にとっては事実である。引用五首目などは、夢の歌に含めていいのか賛否が分かれそうだが、目を閉じて自らの内面によって死者を視ようとする行為は、おのれの無意識を視る夢判断的行為に通ずるものがある。楠は、意識の表面に上がって来ないような潜在的自己を、歌を通して掘り起こそうとしているのではないか。

  吾を待つ数分間につぎつぎと轢き逃げされたといふ君の影
          楠誓英『青昏抄』
  噛み砕くやうな音して緑色の屋上に出るドアが閉まりぬ
  カサカサと燕の死骸あらはれぬ夏休み明けの教室掃けば



 これはなかなか辛い仕事だ。詠う中で、逃げ場がどこにもない。そして、逃げ場のない〈私〉の生を見つめる中で、右に引いた三首のような歌が詠われる。生と死の痛みを伴った語彙は、おのれを焦がす記憶すらも引き受けようとする、〈私〉の生の葛藤の痕跡だと言えよう。

 そういえば、僕が小学校一年生の時、二学期の途中で神戸へ引っ越していったクラスメイトがいた。クラスで送別会などもしたはずだ。震災からまだ、十ヶ月も経っていない頃のことだ。

 あの時、マツモトくんから引っ越し先を聞いた僕は、真っ先に「大丈夫?」と口走ってしまった。自分のことながら、子供特有の素直な残酷さには目も当てられない。大丈夫も何も、転校とは基本的に親の都合で決まるものである。マツモトくんがどんな顔をして答えたかは、幸いにして、全く記憶していない。


  あなたのやうに死ぬはずだつた私にも終はらぬままの春の遠足
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Author:りったん
第五次立命館大学短歌会です。40年の時を経て、2012年9月25日(火)に再結成しました。通称:立命短歌会。りったん。大学公認団体です。

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