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支線沿線〈2〉 記憶を生きるために(濱松哲朗)

 今年の一月十七日にはかなり感慨深いものがあった。理由のひとつは言うまでもなく、阪神淡路大震災から丸二十年の日であったことだが、この日はちょうど、大学入試センター試験の初日でもあった。

 センター試験の受験生の大半が、阪神淡路大震災以降にこの世に生を受けたものばかりになっていると気づいて、僕は思わず唸った。二十六歳の自分にしても、当時のことは覚えていることの方が少ない。それでも未だに、朝のニュース映像だけはおぼろげながら記憶している。いつも通りのオープニングで始まらない朝のテレビは、六歳の僕に確かな不安を与えた。

 テレビのニュースやワイドショーばかりを見て育った――テレビに預けられていた、とも言える――当時の僕にとって、神戸の印象は、地震に遭った街、というものでしかなかった。だがそれも、時間とともに変わっていった。テレビに映る神戸の街はどんどん復興していく。元通りになっているのか、更に発展したのかは分からないが、神戸という街の名から想起されるイメージにおいて、「震災」の二文字は次第に影が薄くなってしまった。忘れられた、と言った方が適切かもしれない。

 これはあくまで、神戸から遠く離れた茨城で育った僕の、勝手な経験でしかない。震災当時その場にいた人にとっては、忘れたくても忘れられない記憶が存在するだろう。そしてそうした、忘却することが許されない生の辛苦は、近代以降の短歌が繰り返し迫ってきたものでもある。明石海人におけるハンセン病、宮柊二における従軍、森岡貞香における夫との死別と、ひとりの歌人が詠み継いだ作品の奥に響く経験の通奏低音の例は、挙げ始めたら切りがない。

  兄に似た少年ひとり自転車に乗りて校門の闇に消えゆく
          楠誓英『青昏抄』(2014)
  雪原に立つ鹿の眼にうつる吾をいくどもいくども夢に見たりき
  ゆうべ見し夢の続きに洗面器の水面に揺るる吾の影あり
  帰らざる兄の自転車さびついて月の光が照らしてゐたり
  暗闇の中にゐたくて目を閉ぢる 夕陽を背中に兄は立つてゐる



 楠誓英の第一歌集『青昏抄』の通奏低音は、阪神淡路大震災で兄を喪った記憶である。だが、この歌集は体験を記録した作品の集積では決してない。歌集の栞文で沖ななもが「阪神大震災で兄を喪ったということは現代短歌社賞の選考のずっと後に知った」と書いているように(沖は楠が受賞した際の選考委員を務めた)、兄と震災の因果関係が前面に詠われることは最後までない。「震災の瓦礫の中をゆく祖父の棺は揺れる舟歌のやう」という歌はあるが、むしろ例外で、何よりこれは祖父についての歌である。

 歌集一冊三百首を通しで読んでみると、教室や街角といった日常の場面から、「亡き兄」のイメージが折に触れて湧き上がってくるのに気づかされる。日常の破れ目として「亡き兄」が存在していると言っても良い。この記憶は平坦な日常を突き破ろうとするが、日常がここで完全に破綻してしまうことはない。忘れることが許されない記憶としての「亡き兄」ではあるが、作中の〈私〉はしっかりと日々を生きようとしている。記憶につかれて過去に埋没する衝動に、駆られていないとは言えないだろうが、それでも歌集には、記憶のみで「亡き兄」に迫ろうとした歌はない。

 ふと僕は、吉川宏志の歌に、

  この遺影に記憶はかたまりゆくならむいろいろな顔を見てきたけれど
          吉川宏志『燕麦』(2012)



 という、河野裕子への挽歌があることを思い出した。吉川の歌にはある種の諦めが滲んでいる。だが楠の場合、遺影の写真のようにして、記憶の中の人を固定化させてしまうことを、敢えて拒もうとしているのである。

 歌は歌集の中に、現在を生きる〈私〉の意識の流れとして配置されている。『青昏抄』に詠われているのは、折に触れて記憶に蘇ってきて、忘れさせてくれない「亡き兄」であり、「亡き兄」を現在の〈私〉がその都度幻視しているのである。

 そう思うと、『青昏抄』に夢の歌が多いことにも納得がいく。死者の記憶と向き合うことは、おのれの生を見つめることをも意味するからだ。夢とてそれを見た者にとっては事実である。引用五首目などは、夢の歌に含めていいのか賛否が分かれそうだが、目を閉じて自らの内面によって死者を視ようとする行為は、おのれの無意識を視る夢判断的行為に通ずるものがある。楠は、意識の表面に上がって来ないような潜在的自己を、歌を通して掘り起こそうとしているのではないか。

  吾を待つ数分間につぎつぎと轢き逃げされたといふ君の影
          楠誓英『青昏抄』
  噛み砕くやうな音して緑色の屋上に出るドアが閉まりぬ
  カサカサと燕の死骸あらはれぬ夏休み明けの教室掃けば



 これはなかなか辛い仕事だ。詠う中で、逃げ場がどこにもない。そして、逃げ場のない〈私〉の生を見つめる中で、右に引いた三首のような歌が詠われる。生と死の痛みを伴った語彙は、おのれを焦がす記憶すらも引き受けようとする、〈私〉の生の葛藤の痕跡だと言えよう。

 そういえば、僕が小学校一年生の時、二学期の途中で神戸へ引っ越していったクラスメイトがいた。クラスで送別会などもしたはずだ。震災からまだ、十ヶ月も経っていない頃のことだ。

 あの時、マツモトくんから引っ越し先を聞いた僕は、真っ先に「大丈夫?」と口走ってしまった。自分のことながら、子供特有の素直な残酷さには目も当てられない。大丈夫も何も、転校とは基本的に親の都合で決まるものである。マツモトくんがどんな顔をして答えたかは、幸いにして、全く記憶していない。


  あなたのやうに死ぬはずだつた私にも終はらぬままの春の遠足
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支線沿線〈1〉 浮かび上がる色のイメージ(濱松哲朗)

 今年の京都は、年始から雪模様だった。例年では考えられないほどの雪が積もり、初詣客の混雑も相まって交通機関は乱れに乱れた。衣笠キャンパスの近くにある、嵐電の北野白梅町駅も、北野天満宮へ向かう人と、嵐山方面へ向かう人とが、それぞれに群れを成して、吹き荒れる雪に耐えていた。

 けれど、雪が降ると僕は俄然元気になる。今にも雪が降り出しそうな、曇天の張りつめた空気は大好きだし、積もったら積もったで、今度は冷たさの中に閉ざされた生活が急に愛おしく思えてくる。無論、低気圧のせいで頭痛がひどくなることもあるのだが、気分が昂揚しているから気にならない。北国の人が聞いたら呆れて笑われそうな感想だが、あまり雪の降らない茨城で育った僕には、雪がちょっとした非日常として、ひときわ輝いて見えるのである。

 雪が降り始めると、必ず思い出す歌がある。

  君かへす朝の敷石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
          北原白秋『桐の花』(1913)



 九州に生まれ、神奈川や東京に暮らした白秋の描く雪も、北国の雪ではない。白秋の雪にはやはりどこか、冬に出会う非日常の匂いがする。それ故、何が「さくさくと」だ、悠長なことを言うな、と顔をしかめる人もいるかもしれない。

 だが、これは恋の歌である。しかも、白秋の場合、『桐の花』でうたわれた恋は、人妻との禁断の恋であった。結句にある命令形は、日常の生活からは浮遊した、恋の熱情のあらわれである。歌の中の主体は、朝になって「君」を家に「かへす」に及んでも収まり切らない昂揚感を、降りしきる雪へと投げかけずにはいられない。きわめて詩的で、盲目的で、繊細な感情だ。雪の朝であるというのに、外界の冷たさよりも内面の熱情が勝っている。

 そして、この歌からは不思議と、色が感じられる。実際にこの場面に存在しているのは「敷石」と「雪」だけのモノトーンの世界なのに、「林檎の香」のイメージに読みが強く引っ張られて、林檎の果肉の色や表面の色が(実は赤林檎か青林檎かは分からないのだが)、心象の色として浮かび上がってくるのである。「さくさくと」は雪にかかるが、林檎のイメージにも被さっている。

 白秋には他にも、色づかいの巧みな作品が多い。『桐の花』から、この歌の周辺にある雪の歌を引いてみよう。

  寂しさに赤き硝子を透かし見つちらちらと雪のふりしきる見ゆ
  厨女(くりやめ)の白き前掛(まへかけ)しみじみと青葱の香の染みて雪ふる
  狂ほしき夜は明けにけり浅みどりキヤベツ畑に雪はふりつつ
  わかき日は赤き胡椒の実のごとくかなしや雪にうづもれにけり



 『桐の花』は、同年に刊行された斎藤茂吉の『赤光』と並んで、赤い色の多い歌集として知られるが、歌集には赤以外の色彩についても注目すべき表現が多く見られる。特に、雪とともにうたわれたこれらの色は鮮やかな印象を与える。雪の白との対比の中で、画面上に対象物の色が映えるのである。しかもそれが、実際に目に見えているわけではない「青葱の香」や「赤き胡椒の実」であったとしても、である。

 色彩感覚に優れた歌人は現代にも多い。白秋の『桐の花』から百年後に刊行された、堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』から引く。

  秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
          堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(2013)
  君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
  眠るときいつも瞳に降りてくる極彩色の雨垂れ、誰か
  町中のあらゆるドアが色づきを深めて君を待っているのだ



 秋茄子の紫色、桜の淡い色調、極彩色、そして、不特定多数の想像を喚起させる、ドアの色。堂園の作品の底には、生と死に対する意識が常に横たわっており、特に死は、一見すると、作品の画面全体を暗くする要因になるように思えてしまう。しかし、全体の画面が死によって暗く抑制されているからこそ、作品の中の色が灯火のような揺らめきとともにあらわれる。

 白秋の歌の色彩が白地のカンバスに直接描いたものだとしたら、堂園の歌の色彩はリトグラフのような版画を思わせる、写し取られて浮かび上がる色である。後半の二首が含まれる連作の題は「色彩と涙の生活」。堂園作品の世界観は、この色彩感覚に支えられていると言えるだろう。

 先日、東京で『やがて秋茄子へと到る』の批評会が行われた際、パネリストを務めた川野里子が、堂園の歌と白秋の『桐の花』の親和性について述べていた。堂園本人も、白秋の『雲母集』を愛読したという。

 『やがて秋茄子へと到る』が刊行された際、茂吉の歌を引き合いにして、「赤茄子から秋茄子まで」の百年を思ったものだが、この百年は『桐の花』との間に流れた百年でもあった。色彩というイメージをいかに読者に与えるかを、歌人たちはこの百年間、常に挑戦し、模索続けてきたのである。


  手袋を雪にうづめることばかり考へてゐた それほど赤い


※「支線沿線」は、毎月2回(10日、25日)掲載を予定しています。

新年歌会をします!

遅ればせながら、皆さんあけましておめでとうございます。年明けから体調不良の続く濱松(科)でございます。
昨年は無事、『立命短歌』第2号を発行することができました!
通販開始まで、今しばらくお待ちください。
今年も立命短歌会をどうぞよろしくお願い致します。


さてさて、今年最初の歌会を開催します。
新年だし盛り上がっていきましょう!

立命短歌・新年歌会
日時:1月14日(水)18:00~
場所:立命館大学衣笠キャンパス清心館545教室



参加をご希望の方は、りったんGmail(rittan.5th☆gmail.com ☆→@)までご連絡下さい。折り返し、詠草の送り先などをお伝え致します。
学内学外など、所属・歌歴は問いません!
「歌会は初めて」「短歌って何よ?」という方、出詠なしの見学も大歓迎ですので、ぜひ足を運んでみて下さい(・▽・)

プロフィール

りったん

Author:りったん
第五次立命館大学短歌会です。40年の時を経て、2012年9月25日(火)に再結成しました。通称:立命短歌会。りったん。大学公認団体です。

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